2026年11月1日(土)
2024年6月8日、少し雨が降る夕方に、息子は産声を上げた。出産予定日は6月20日だったが、生まれる前の検診で「念のため入院しておきましょう」となり、生まれる数日前から妻は入院していた。無痛分娩を希望していたため、その予定もあってのことだった。
当日は土曜日。私は午前に仕事へ行き、疲れが溜まっていたこともあって、鍼治療に寄ってから帰宅した。昼下がり、ソファでそのまま深い眠りに落ちてしまった。夕方には妻のところへ行こうと思っていたのだが。
義父からの電話
スマホが鳴っていることに気づいて出ると、電話口は義父だった。「もうすぐ産まれそうだから、早く病院へ」。慌てて準備をして病院へ向かった。画面を見ると、妻からの着信が大量に入っていた。私に連絡がつかないので、父親に連絡したのだという。
病院に着いて産科へ行くと、妻はすでに準備を整えていた。「連絡つかないから、もうすぐしたら行くところだったよ」と言われ、本当にギリギリで間に合った。
話を聞くと、エコーの最中に少し心音が下がったため、急遽、帝王切開で産むことになったという。もともと「少し小さめ」とは言われていたが、そこまで心配はしていなかった。無事に産まれてきてくれるなら、それだけでいい。そう願いながら、妻の手を握って「頑張れ!」と伝え、廊下で待つことになった。
初対面
土曜日ということもあり、院内は静かな時間が流れていた。1時間ほど経っただろうか。「無事に産まれましたよ」と看護師さんが教えてくれた。「もうすぐ会えますからね」と言われて待っていると、カプセルに入った息子と、廊下で初対面を果たした。
少し呼吸が苦しそうだったので、このままNICUへ行きますと伝えられた。数枚だけ写真を撮って、息子はNICUへ入っていった。ここから出てくるのがだいぶ先になるとは、当時は全く想像していなかった。
その後、妻が手術室から出てきた。「頑張ったね。ありがとう」と声をかけて、病室へ戻る。
主治医との出会い
二人で少し話をしていると、医師から私だけが呼ばれた。何だろうと思いながらNICUへ入る。のちに長い付き合いになる、主治医との出会いだった。
「お子さんのことでお伝えしますね」。頭の中が真っ白になるというのは、こういうことなんだろう。それでも、聞き逃してはいけないと思って、必死に耳を傾けた。
「お子さんは、染色体の18番目が1本多い、エドワーズ症候群という先天性の病気の可能性があります」。18トリソミーという言葉も、エドワーズ症候群という病名も、私はこの時に初めて知った。下顎が小さい、耳の位置が低い、指を握ると親指と小指を内側に握り込む、右足の中指と薬指がくっついている、毛が濃い……さまざまな特徴を説明された。確定ではないものの、可能性は高いとのことだった。
息子に会えた嬉しさと、複雑な気持ちが入り混じっていた。それでも、嬉しい気持ちのほうが圧倒的に大きかった。必死に生きようとしている息子の姿を見ると、病気のことなどどうでもよく思えたのだ。すでに治療は始まっていて、呼吸が落ち着かないため、ハイフローが繋がれていた。
どうやって病室まで戻ったのかは覚えていない。ただ、これを妻に伝えなければならない。妻を不安にさせないように伝えなければ。そう思って部屋に入った。
「赤ちゃん、どうだった?」と聞いてくる妻に、私は「元気だったよ」と答えるのが精一杯だった。
その後、少し落ち着いてから、息子の状況についてゆっくり話した。二人で泣いた。なぜか、涙が出てきた。もしかしたら短い命になるかもしれない、と二人とも感じていたからだと思う。
本当は一緒にいたかったけれど、帰らなければならなかった。どうやって帰ったのかも、ご飯を食べたのかどうかさえ、記憶にない。ただ、帰ってから、病気のことをひたすら調べていた。
これが、息子が生まれた日の話である。

